バスケワールドカップ2023で大注目されている日本代表の河村勇輝選手。
河村勇輝選手の祖母の手紙が感動的だとSNS上で話題となっています。
そこで今回は、手紙の内容や感動エピソードについて調査しました。
河村勇輝:祖母の手紙の内容
2023年6月2日に行われたバスケットボール男子Bリーグの表彰式で、河村勇輝選手はMVP(最優秀選手賞)と新人賞とダブル受賞。

教員で多忙だった両親の代わりに面倒を見てくれた祖母からの手紙が表彰式で朗読されました。
この手紙の内容が穏当に感動的なのです。
元気ですか?おばあちゃんです。
バスケットで素晴らしい賞を頂いたことをお父さんから聞きました。
本当におめでとう。
よく頑張りましたね。
両親が教師で忙しく、小さい頃から朝晩はいつも私の家で過ごしましたね。
バスケットが大好きで、毎日家の庭で練習に励んでいた姿が思い起こされます。
中学のときは練習や試合で帰りが遅くなった時に車で迎えに行ったことも懐かしいです。
あの頃の努力が今、花開いたんですね。
本当によかったね。
これからも勇ちゃんの健康と活躍を毎日祈ってますよ。
頑張ってね。
育ててくれた祖母からの手紙に、思わず涙を流す河村勇輝選手。
そして、高齢の祖母を気使いながらもこんなコメントをします。
「病気で高齢でも、必死に生きている祖母の姿を見ていると、どんなつらいこともやっていける気持ちになる」と励みにしているといい「祖母に感謝したい」と声を震わせた
Bリーグ表彰式で祖母の手紙 河村勇輝、涙「バスケットを不自由なくできたのも祖母がいたから」 – サンスポ (sanspo.com)

おばあちゃんへの感謝を忘れない姿に感動するね
河村勇輝:祖母が育ててくれた理由
河村勇輝の両親が教師で仕事が忙しかった
河村勇輝の祖母の中にも出てくるエピソードですが、ご両親はともに教師をしていました。
お父様は、山口県柳井市立柳井中学校の英語教員をされています。



お父様は、バスケ部の顧問もしていたんだって!
お母様の詳しい情報は不明ですが、祖母が面倒を見るくらいですので、激務だったことは明らかですよね。


祖母の手紙を読み終わった河村勇輝選手は、ご両親についてこのように語っています。
「両親が教員ということもあって、すごい忙しくて、なかなか家にいない中、祖母の家に朝から夜までずっといた日々が続いていたので、ほんとにバスケットが不自由なくできたのも祖母がいたからなので。今も病気だったり年齢もいっていて、毎日必死に生きてる姿を見て、自分はどんなつらいことも祖母の姿を見てるとやっていけるって気持ちに毎日なっているので、ほんとに感謝したいです」と思いを語った。
ご両親と祖母への感謝を語られました。
河村勇輝には姉が2人いたから
河村勇輝選手には早稲田大学卒業の姉が2人います。
姉が2人いて、僕は3人姉弟の末っ子です。家族5人みんなすごく仲が良いんですけど、姉はすごく勉強をやっていて、今は早稲田大学を卒業しました。僕はスポーツをやりながらも、姉たちの姿を見て勉強と両立するのは当たり前だと思っていた部分はあります。
バスケット・カウント | Basket Count – バスケットボール総合情報サイト (basket-count.com)
仕事で忙しい両親が3人の子供を面倒見るのは難しかったのかもしれません。
お姉さんが2人いたことから、祖母が両親に代わり育てていたと言えますね。
河村勇輝の両親(父)の感動エピソード
河村勇輝にバスケットゴールを手作り
河村勇輝選手は、小学校2年生からバスケを習い始めますが、4年生になってから本格的に取り組み始めます。


中学校の英語教師でバスケ部の顧問もしていた父の河村吉一さんですが、真剣に取り組む姿を見て、河村勇輝さんの為に、自宅の庭にバスケットゴールを作ります。



自宅のバスケットゴールの自主練で、小学校6年生の時には1日1,000本のシューティングをしていたんだって!スゴイ!
我が子に好きな事を思いっきりさせてあげたい!という愛情が伝わってくるエピソードですよね。
河村勇輝の進路を自分で決めさせる
河村勇輝選手のご両親は、進路は自分で決めさせるという自主性を大切にされていたようです。
幼少期は広島カープを応援する野球少年だったが、河村勇輝自身の判断で小学校2年生からミニバスケットボールに転向
地元を離れて、福岡第一高等学校からスポーツ推薦の話を受けた
まとめ
今回は、河村勇輝選手の祖母の手紙につていて調査しました。
幼少期、仕事で忙しい両親に代わって、祖母に育ててもらった河村勇輝選手。
祖母の愛情だけでなく、ご両親からもたくさんの愛情を受けてバスケットボール選手としての才能を開花させたことが分かりました。
河村勇輝選手の更なる活躍を期待したいと思います!
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。